2017年05月26日
しつこくミンチケバブ。
こちらはキャビール砂漠突入日、ナイーンからアナラクへむかう途中で食べたもの。
こだわりのあの店ではありません。
あの店のミンチケバブは少々弾力があり、しっかりした味がついています。
この写真のものは食感がふわっふわ。
軽いので1人2本をぺろり。
うまかった~。
2017年05月25日
カスピ海産のキャビアでも最上級に品種ベルーガと・・・
それを販売する店主と・・・
ずらり山積みになった在庫。
製造年月日は2017年5月1日。
消費期限は3ヶ月だったでしょうか。
イラン国内でキャビアは手に入らないという認識でしたが、ちゃんとありました。
なお、2014年4月にトルクメニスタンを訪れた際にアシガバードのロシアバザールで量り売りされていたトルクメニスタン産のキャビアは100gで50ドル。
現地のガイドさんいわく、もうちょっと安く買えるはずだとのことでした。
トルクメニスタンのキャビアはその場でタッパに詰めて販売をしていたため持ち帰ることはできず。
今回は3名のお客様が合計9個のキャビアを購入されていました。
イランのキャビアの方がトルクメニスタンのキャビアよりはるかに高額でしたが。
わたくしは・・・
寿司でも好んでイクラを食べることはありません。
正月の数の子にいたってはあまり好きではないというか、どちらかというと嫌いな食材。
ということで、キャビアにはそれほど魅力を感じていないのでした。
その昔、ロシアのカムチャッカ半島を訪れた際に宿泊した猟師小屋で出してくれた自家製のイクラはおいしかったかも。
2017年05月24日
今日は1日だけイランのレポートをお休みします。
昨日、ようやく黒石担当の地球旅企画を発表することができました。
(※昨日から本日にかけてばたばたっとご予約をいただき、本日夕方に早速催行予定となりました!)
こちらです。
2017年8月6日(日)出発
世界遺産アレッチ氷河1泊2日ハイキングとレマン湖畔の景勝地&ワイナリーめぐり 8日間
前半はグリンデルワルトで足慣らしをした後、マッターホルンなどの高山にも同行できるマウンテンガイドに同行してもらってユングフラウヨッホから世界遺産のアレッチ氷河を1泊2日かけて歩きます。
後半からはがらっと旅の主旨が変わり、レマン湖を遊覧しながら世界遺産のシヨン城を船上からながめ(これが一番いいと地元の方に教えてもらいました)、下船後は昨年の夏にも訪れた小さなオーベルジュでおしゃれフレンチの昼食。
宿泊は高台に建ち、世界遺産のブドウ畑とレマン湖、アルプスの山々を望むホテルに宿泊し、夕食はブドウ畑の上にあるガラス張りのメインダイニングでこれまたおしゃれ料理を。
翌日は船でミネラルウォーターで有名はフランスのエビアンに渡って散策してからスイスに戻り、スイスワインを製造するワイナリーに立ち寄って見学と試飲の予定。
1回の旅で山ありおしゃれな雰囲気ありと2回分楽しめる、そんな内容に仕上げました。
ハイキング倶楽部メンバーの方にはおなじみ、日本で山岳ガイドをしている志波さんにもコーディネーターとして同行してもらいます。
山がお好きな方、お酒がお好きな方、おいしい食事には目がない方、ぜひご検討ください。
2017年05月23日
じゃ~ん。
恒例の遊園地♪
ここはタバスの町外れのまわりになんにもない場所にあるホテルの敷地内。
到着は夜だったのでまったく気づかなかったのですが、朝食のレストランにむかう途中に妙な乗り物があることに気づきました。
そしてそこには、わたしよりも先に気づいてノリノリで写真を撮っているお客様も。
も~おさかなちゃんったら。
前髪が目に入っちゃうよ~。
こんな感じですがちゃんと動きました。
ですが・・・
子供用なのでおさかなちゃんに乗り込んでもお尻が入らず、体育座りでかろうじて乗っかっているという感じでした。
すっごい楽しかったです♪
奥の観覧車は残念ながら動きませんでした。
手前の乗り物、これが一番盛り上がりました。
ぶらんぶらんとスイングし、結構高いところまで上がります。
でも安全バーがお腹のかなり低い位置にしかなく、毎回頂点に達すると体が飛び出しそうになります♪
必死で安全バーにつかまると不安定でがちゃがちゃと動いてしまい、怖さ倍増。
朝食前に1日分の体力を全部使い切るほど大笑いしてしまったのでした。
2017年05月22日
イラン革命をご存知でしょうか?
イランは1925年から1979年までがパフラヴィー朝と呼ばれる王朝の期間でした。
西欧化が進められ、国名もペルシャからイランに変わった時期。
人々の暮らしもウェスタナイズされ、宗教が社会を支配することもなく、アメリカは友好国でした。
王朝の崩壊は1979年。
各地で発生した反政府デモを抑えることができず、ついにはあのホメイニ氏による革命が成就することになったのでした。
国王は国外に脱出。
その後、前国王がアメリカに渡ったことを知った革命軍の学生メンバーが激怒し駐イラン・アメリカ大使館を占拠、大使館員とその家族53名が人質になりました。
イーグルクロー作戦はアメリカ軍による人質救出作戦で、これは失敗に終わっています。
そして、人質救出に向かって墜落したアメリカ軍のヘリと輸送機の事故現場をキャビール砂漠東部で見ることができるのです。
地元民と思われる人も訪れていました。
革命前のイスラム色の薄い時代と、近代化に憧れながら宗教指導者を国にトップに置いている今、どちらの生活が現代のイランの人々にとって理想なのでしょうか?
すべてはイランの人々の心の中に。